夜半に降ったと思われる雪がうっすらと残っていて、庭園自体が自然の景観を取り込んだ造形だと思うと、とても感慨深いものでした。
修学院離宮は後水尾上皇の理想を実現した壮大なスケールの山荘で、その表現は現代にも通じる・・。どころか「現代の雑木を使った自然風の庭」そのものである。と言っても大袈裟でないように思えてくるから不思議なものです。
当時のことを想像してみると、日本のどこにでもあるような田んぼの畦道で、春はレンゲやタンポポ、秋には彼岸花、また風に揺れる稲穂の姿、も季節の移り変わりを感じながら、下御茶屋から上御茶屋へと行き来する人の姿。日本の原風景のような棚田の景色を景観とすることは、雑木林のコナラを初めて庭に取り入れた飯田十基の感覚と近く共通しているのかなと思えるのです。
また、庭園の流れや滝や遣水にも近代的な要素を感じることがあった。例えば、雄滝の流れは石組としては派手だけど、激しく流れ下った水が、小川のように静かな流れとなって、浴龍池に注ぐ姿の緩急はとても近代的に感じる。よく近代的な流れの造形のはじまりとして、植治の無鄰菴が言われるけど、年代が違うそれと比べても面白い。
「景色としての自然の無駄を切り捨てる」ことを考えてきたことが、庭園の歴史であるとしたら、未来の造園の歴史書にある「現代」の項目の始まりが修学院離宮であっても不思議では無い。と言うと言い過ぎかな・・・。